「母の日」に、家の中で失くした指輪。見つかったのは「お盆の入り」

 

気がついたらなくなっていた指輪。
あれ!?
物陰にあるではないですか!

特別な指輪です。
見つかったときは
うれしいというか
安堵の気持ちでした。

こんにちは!
暮らしのアドバイザー
土井けいこです。

「今日を大切にする」時短家事と
暮らしがラクになる「減災収納」
をお伝えしています。

母親と葛藤のある娘は多いと聞きます。
そういう方の
なにかいい方向に
気持ちを切り替える
きっかけになったら
いいな…と思って

今日は、
一年前のお盆の入りに、
フェイスブックに投稿した記事を
リライトします。

 

 

失くしたのは「母の日」

一年前の5月。
大切な指輪が
家の中で行方知れずに。

あの日、
著作本の校正に没頭。

「母の日」なのに
母に何もしていないことに気がつき
原稿を書く合間に母の指輪を
手にしてみようと思い
出して手にして…。

…数日後気がついたら
いつもの場所にはなくて…。

自分を責める気持ちで、
ひと月以上、
あちこち探しても見つからず。

諦められずにいました。

失くしてから3ヶ月。
床に座ってふと振り返ると
床の物陰になにかがあります。

あった!
大切なものなのに
何気なく外して置いたとき
転がり落ちたことに
気づかずだったのですね。

あ~、うっかり者のわたし。

いつも掃除で
見ていた場所なのに
いつもとはちょっとだけ違う角度で
もの影を見たことで見つけました。

やっぱり
父が「ここにあるよ」と
教えてくれたかな?
だってその日は
お盆の入りでしたからね。

 

時が刻まれた指輪

石も石を囲む枠もものすごいキズ。

美しくするなら
石もリングも磨きに出したらいいけれど
そういう価値とは違うのです。

半世紀近く、
ずっと母の左手薬指にありましたから
ときが刻まれている特別な指輪。

石はたぶん水晶。
父が母にプレゼントしたブローチに
ついていたもの。
その石を使って
のちに母が指輪にオーダー。

その指輪を
数年前に
母がわたしにくれました。

いま、
わたしが指にすると
ズシリと重たいです。
実際の重さもあるけれど
思い出の重さも感じるかな?

 

ジェラシー(笑)

それにしても
娘の私は
「あなた」からプレゼントをもらった
記憶はありません。

(あ、振袖を買ってくれましたね)。

「あなた」は
遠くへ出張のときは
必ず母にお土産買ってきていました。
母は金属アレルギーでしたから
たいていブローチだったと思います。

わたしが大人になって、
ふたりでお酒を飲んだとき。

「あなた」は
「かあさんはかわいい」と
てれることもなく娘の私に
言いました。

(う~!
デリカシーがないね(笑))

2007年の夏、
「あなた」に末期ガンが発覚したときも、
病床で痛みをギュッと堪えながら
「かあさん、どうしてるかな
ご飯炊いているかな」と
家に残る家事が苦手な母を心配。

遠くから駆けつけた
そばにいるわたしには
なにも言わず。
ちょっとやきもち。(笑)

病気が発覚して
やがて脳に転移して
会話ができなくなって
旅立つまで2ヵ月ほど意識がぼんやりでしたね。

ある時。
ベッドの「あなた」の傍らに立つわたし。
ナースが点滴の交換。

少しでも「あなたたち」のことを
医療スタッフに知ってほしくて
わたしは、
ふたりのエピソードを
ナースに話していました。

そのとき、
ちょっと母のことを言ったら
一瞬「あなた」は、
眉間にしわを寄せました!

びっくり。

「かあさんの悪口を言うな」って
怒っているみたいでしたね。

そんなに愛しくて
心配な人をのこして旅立つのは
どんな思いだったのかな?

 

わたしのルーツ

一組の夫婦の関係が刻まれる指輪。
この指輪の存在を
自分のルーツと思えるようになったのは
最近のこと。

「あなた」が病気になって
旅立ってしまったあとは
どうしようもない気持ちでした。

だけど、
「あなた」の看病で何度も通ったことが
母との関係を取り戻すきっかけに。

長いこと疎遠にしていましたからね。

あんなことでもないと
会えなかったかもしれない。

「あなた」が元気で母のそばにいたら
わたしは素直にはなれないままだった
気がします。

まあ、とにかくありがとう。
ふたりが出会っていなかったら
わたしは生まれていなかったのだから。

いろいろ
あり過ぎるくらいあったけれど
それでもありがとう。

「あなた」は、
心配しているよね、たぶん。
でも、大丈夫ですよ。

あなたの愛おしい人は
あれから独り暮らしで何年も頑張って
いまはグループホームで
穏やかに暮らしています。

いろいろ大切な記憶をなくしていくけれど
この前会ったときは
まだわたしのことを「娘」と
わかっていました。

少々トンチンカンながら
昔話をしたり
歌を歌ったりして一緒に過ごして
わたしは思い出づくり。

ところで
若いころ165センチもあって
手足の長い長身のスラリとした
「あなた」の愛しい人ですが、
いまはわたしより身長が低くなって
(内緒だけど)ビア樽みたい(笑)

父よ…「あなた」は
彼女の今を見なくて
よかったのでは?(笑)

こんなことを思うのも
お盆だからでしょうかね。

 


posted : 2019年8月13日